新紙幣が導入されてから3ヶ月が経ちますが、最近こう言う話を耳にします。「渋沢栄一が描かれている新1万円札は結婚式のご祝儀に適さない」
驚きの新マナーが物議を醸しているのです。さて、なぜ渋沢栄一は結婚式のご祝義に適さないのか、渋沢栄一とは一体何者なのか紹介します。
①血の気の多い、幕末に生まれた侍だった!
1840年(天保11年)に、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の深谷市血洗島)の農家に生まれます。幼い頃から家業を積極的に手伝い、学問にも精を出していました。
23歳の頃は、当時の幕府のやり方、弱腰外交にイライラを募らせ、高崎城乗っ取り・横浜外国人商館焼き討ちを企てます(計画は直前で断念)。しかし、そんな事したら、当然幕府に追いかけられてしまいます。追手を避けるために、一橋家に仕えますが、そこで財政の改善などの手腕を発揮し、次第にその力を認められていきました。このタイミングで、身分を変えて武士になるのです。
②新政府の為、国力を上げる為に経済を牽引!
その後、徳川家最後の将軍、慶喜の弟昭武に欧州視察に任命されます。
欧州から帰国した栄一は、29歳の時に明治新政府に招かれます。国力を上げる政策の一つに富岡製糸場の設立があります。今日世界遺産になっており、有名ですよね。33歳で官僚を辞めた後は、第一国立銀行(現みずほ銀行)の総監役(今で言うと頭取)となり、民間人の立場から近代的な国づくりを目指しましす。銀行を拠点に企業の創設・育成に力を入れて生涯に約500もの企業に関わっているのです。新一万円札に描かれるのも納得の偉人です。
③若気の至りと言い、68歳で子供を作った。
渋沢栄一は女好きでも有名でした。正式に結婚した妻は2人、他にも女性はいて、妻と暮らす家に妾も住まわせていました。少なくとも17人の子供がいて、その子たちは政財界の大物と婚姻しており、子孫たちは現在も企業の社長、役員などを務めているらしいです。
さらに68歳で子供を作り、その際は若気の至りと言い訳したとのこと。まあ色々と精力的な人だったんですね。
いかがでしたか?今回は「新1万円札は結婚式のご祝儀に適さない」で話題の渋沢栄一について紹介しました。確かに女性関係を見てみると、新一万円札は縁起悪いかもしれませんね。
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